みなさんこんにちは、北海道旭川で
”お金”と”働く”を探究している
ファイナンシャルプランナーの
リーダーこと大野雅志です。
緊急事態宣言が解除になりましたが、東京ではアラートが発動されていてまだまだ油断できない状況にありますね。
“Withコロナ”や“新しい生活様式”といわれているようにこれからは色々なことが変わっていくのでしょうね。
どのように変わるかはわかりません。
ただ、今まで普通といわれていたことが普通じゃなくなっていくでしょうね。
さて、前回ブログ更新した時に『甲子園の中止について書いて』というリクエストをいただきました。
甲子園も今までは開催されるのが当たり前でしたが、今回はちがいます。
今回は難しいテーマですが、夏の甲子園中止について僕なりの考えを書いてみます。
全国高校野球選手権大会と書くより甲子園と書いた方が伝わると思いますので文中では甲子園と表現させていただきます。
『お前の考えなんか聞きたくない』
『お前の考えはいらん!!』
という方はスルーしてください。
2020年(令和2年)5月20日、第102回夏の甲子園大会中止が決定しました。その前にオリンピックも初の開催延期となりました。夏の甲子園は100年以上の歴史があり、戦争以外の理由で中止となるのは今回が初めてです。新型コロナはこれらの伝統ある大会までも延期や中止においやる威力があります。
雑学になりますが、甲子園の第一回大会は第一次世界大戦翌年の1915年(大正4年)に大阪の豊中グラウンドで、大阪朝日新聞主催で全国中等学校優勝野球大会という名称で行われました。10校の参加だったそうです。第10回大会から今の甲子園で開催されるようになりました。
1946年(昭和21年)、この大会の運営をする目的で全国中学校野球連盟が結成されます。1946年(昭和22年)学制改革に伴い全国高等学校野球連盟(高野連)に改称します。以後、全国高等学校野球連盟主催で現在まで開催されています。
余談になりますが、僕も30年ほど前高校球児で甲子園を目指していました。まぁ、僕は万年ベンチ、万年補欠というレベルでしたが・・・(笑)
以後、大学で軟式野球、社会人になってからは朝野球を、何回かチームは変わりましたがいまでもプレーヤーとして続けていてます。
そして僕はいまでも母校の甲子園予選を応援に行ったりします。もちろんテレビで甲子園をみます。札幌ドームまで日本ハムの試合を見にいったりもする野球好きのおじさんです。
この野球好きのオジサンの例年だと、春に選抜甲子園を見て、3月下旬からプロ野球を見始めます。大型連休明けに朝野球が始まって、6月下旬から甲子園の予選を見にいき、真夏にテレビで甲子園を見るというのが当たり前で日常の風景でした。
これは疑う余地がなく、社会人になってからの約25年間そのルーティーンで生きてきました。
それが今年は違います。まったく野球に触れていません・・・というか触れられません。
新型コロナが猛威を振るってからは野球だけでなく、会社も学校も家庭も世の中のすべての当たり前や普通と思っていた日常が実は当たり前ではなくなりました。
今まで当たり前だと思っていたことが実は先人たちが長い時間を作り上げたもので、有難いものだということに気づきました。
これはコロナ唯一の功績?ではないでしょうか、百害あって一利あり?・・・
ちょっと余談ですが、日本は建国してから何年になるか知っていますか?
正解は2680年です。
紀元前660年に建国されました。
2680年という年月をかけ、紆余曲折をへて作り上げたのが今ある日常です。
その中で今の会社制度、学校制度、ネット、スマホなどはここ70年くらいで出来上がったものです。
今の学校制度ができて約70年、労働基準法も制定されて約70年です。
ほとんどの人が携帯電話を持つようになり約30年、一般家庭にインターネットが普及して約20年、スマホが登場して約十数年です。
今のようにスマホもネットもある便利な世の中になってまだ十数年なんです。
今のような学校や会社になって70年程度しかたっていません。
もちろんその前は今のような日常ではなくかなり不便な世の中だったでしょう。
それが、この70年ほどで世の中は便利になり大きな紆余曲折がなく平穏無事でした。平穏無事に過ごした時間が長かったせいか、本当は有難いことを今の環境が当たり前とか普通と思い込んでしまっていました。
コロナが流行するまではね・・・・
コロナ前はその当たり前や普通、常識と思い込んでいたものが枠のようなものになっていたように感じます。
大多数の人が普通とか常識と考えることを正解という枠にして、その枠に入ることを善しとして、枠から外れることを悪としてきました。前にも書きましたが正解主義というやつです。
正解主義と共感と理解
※読んでない方はこちらをお読みください。
コンビニやドラッグストアーに行きお金を払えばものが買えるのが当たり前でした。
貨幣経済という枠
平日は学校に行くのが当たり前でした。
学校という枠
会社に出勤するのが当たり前でした。
会社という枠
コロナはこれらのいままでの正解としていた枠まで破壊しました。正解が正解じゃなくなりました。
- コロナ流行中はお金があってもマスクを買うことができませんでした。
- コロナで自粛しているときは学校に行きたくてもいけませんでした。
- コロナの感染拡大を防ぐために会社で仕事をせず家で仕事をしています。
というようにコロナによって枠が破壊されました。
ただ、僕はそれが決して悪いことではないと考えています。
今までは当たり前や普通、常識を深く考えることをしませんでした。
それは当たり前だから・・・
疑わないから誰かが作った決められた正解枠に収まることを目指して社会全体が動いていました。
- 安定した会社に就職することを目指す
- そのために良い学校に進学する
- 時期が来れば就職活動をする
- 学校に行く子がよい子
- 偏差値の高い子が優秀な子 などなど・・・
当たり前が崩れた今、これらについて考えるチャンスではないでしょうか?
この2か月程度の自粛期間中に色々なことを考えられたと思います。
考えた結果、もちろん正解枠に収まってもいいです。
大事なのは考えて自分で決めることです。
正解枠にこだわらず様々な選択肢を見つけ自分に合った枠を探す。
自分にあった枠がなければ枠を創る。
本来はそのようなことを多様性というのではないでしょうか?
そして、これからはそのように変化していくんだろうなと勝手に思っています。
少し話がずれてしまいました。
甲子園に話を戻すと甲子園も枠だと思います。
うまく説明はできませんが、開催が当たり前とか普通と思っていたので枠だと思います。
ただ、その甲子園という枠も壊れました・・・
甲子園を目指すことができなくなった選手たちはその現実をなかなか受け入れられないかもしれません。
甲子園を目指せなくなった選手たちはなかなか気持ちを切り替えらないかもしれません。
それはそれでいいと思います。じっくり時間をかければ時が解決してくれるはずです。
ただ、その前に自分に質問してみてください。
もし周りにそういう子がいたら質問してあげてください。
『君は何のために甲子園を目指したのか?』
一人ひとり違うはずです。みんながみんな同じ目的ではないはずです。
・プロになるためのステップのひともいれば、誰かを喜ばすためとか、仲間と何かを成し遂げたいからとか、もしかしたら健康のためという人もいるかもしれません。
目的がわかると、目的に気づくと甲子園は目的を達成する手段だということに気づくはずです。
そうすると受け止め方が変わりませんか?
少し難しい話かもしれませんが、今回はたまたま甲子園という手段を使えなかったというだけです。
球児じゃない方も自分に問いかけてみてください。
『何のために会社に行っているのか?』
『何のために大学に行くのか?』
などと問いかけてみて下さい。
会社も学校も何かの手段のはずです。
もし目的になっているならもう少し『何のために』を考えてみてください。
ちょっと話がそれますが一つだけお伝えしておきたいことがあります。
みなさんは高校野球がかなり特別扱いをされているように感じませんか?
教育の一環といわれているのに明らかに他の部活と違う。
なぜ高校野球の全国大会が甲子園に固定されているのでしょうか?
インターハイの全国大会は毎年同じ場所ではないです。
世間での取り上げられ方が異常だとは思いませんか?
インターハイはメディアで取り上げられることがほとんどありません。
私はひねくれた考え方をします。
そのひねくれた話をお伝えします。
そういう見方もあるのかと思ってくれれば幸いです。
受け入れなくても結構です。
高校野球は商売になるから特別扱いされているのです。
高校野球を取り上げるとメディアがもうかります。
プロ野球ももうかります。
それ以外ももうかります。
ヒーローや感動、涙は商売になります。
ヒーローや感動を作れればしばらくそのネタで商売できます。
そして高校野球はヒーローや感動、涙を作りやすいです。
それが高校野球が特別扱いされる理由です。
例えばハンカチ王子がヒーローになったときはハンカチが完売しました。
春の沖縄キャンプには人が溢れました。
北海道での日ハム戦の視聴率が上がりました。観客動員が増えました。
色々な業種でもうかります。
私たちは知らず知らずのうちにその戦略にはまっているのです。
これは高校野球だけの話ではないです。フィーバーとかブームとか定番になっているもの、恵方巻、ハロウィン、バレンタイン、クリスマス、母の日などなども同じ現象です。
当たり前とか常識とかを考えないと戦略にはまります。
はまると損したり騙されたりする危険性が高まります。
はまらないためには・・・
考えればいいのです。
疑問を持てばいいのです。
例えば、
高校野球なら、なぜ甲子園以外で全国大会をしないのか?
恵方巻なら、なぜ食べるのかとか
ちょっと疑問を持って調べたり考えたりすると何かが見えます。
最後に甲子園の中止にについて
中止は非常に残念です。
ただ、規模が大きくなりすぎたのでショックもかなり大きいのではないでしょうか?
これからは他の高校スポーツと同じような扱いでよいのではないと個人的には思っています。
特別扱いなしで共育の一環でよいのではないでしょうか?
プロを目指す人たちは部活じゃないチームやリーグを作ったりもいいのではないでしょうか?
あるいは同時期に甲子園以外の大会を作っってどちらかの大会にエントリーするとか等々・・・
そうすれば商売道具にされることも少なくなるはずです。
現に高校野球以外のアマチュア野球はそれほど取り上げられていませんからね。
勝手に甲子園の在り方を書きましたが、今回の甲子園中止でもしかすると高校野球の在り方も変わるかもしれません。
高校野球だけでなく社会の在り方も変わるかもしれません。
先ほど書いた、当たり前という正解枠がなくなり、一人一人が自分枠を作る時代になっていくのではないかと勝手に想像しています。
コロナ騒動は起きてしまってその事実は変えられません。
であれば今回のコロナ騒動を何かのっきっかけにしたいものです。
またまたとりとめのない話になってしまいました。
ではまた(@^^)/~~~
お読みいただきありがとうございました。